
千光士誠 展
「残酷」
2008年12月1日(月)〜12月13日(土)
そこには人間のど真ん中に迫った展示があった。
むき出しの個人とむき出しの関係があった。
断言する。見逃した人は損をしている。
(「残酷」会場風景↓)
http://www.art-sei.com/
千光士は今まで、あらゆる形で集団を描いてきた。それは東京の交差点ですれ違う虚無のそれではなく、中国の砂埃や、どや街の中のぎらぎらしたそれであったように記憶している。
そこには集団というものが持つ「力」と力ゆえの「醜悪さ」が詰め込まれていて、その描かれた対象のもつ強烈な毒気に、僕は展示を見ながら少し喉を詰まらせたような思いがしたのだった。
その千光士が今度は社会(集団あるいは人間における関係)の最小の単位である「夫婦」へと視点を移した。
「残酷」。これは衝撃であった。
個人と社会が退行を続ける、この日本という場所において、
あらゆる関係の根本である「夫婦」を見直すことこそが
今最も重要である、という、誰もがうすうす気付いていた問題が
一気に顕在化されたからだ。
「良い問いが立てられること、それこそが回答だ」とは誰が言っていたか。芸術においても同じことが言えるだろう。
この13枚の画がなした功績は大きい。
彼の画に余計なレトリックは存在しない。
いつでもそれ全てが問いであり、同時に答えである。
どこまでも具体的で、リアルな、むき出しの関係。
「残酷」。
それはおそらく正しい答えである。